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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)177号 判決

東京都文京区小石川4丁目6番10号

原告

エーザイ株式会社

同代表者代表取締役

内藤晴夫

大阪府高槻市朝日町3番1号

原告

サンスター株式会社

同代表者代表取締役

金田博夫

原告両名訴訟代理人弁理士

秋元輝雄

折元保典

同弁護士

安田有三

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 麻生渡

同指定代理人

田辺秀三

今村定昭

田中靖紘

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第1  当事者が求めた裁判

1  原告ら

「特許庁が平成1年審判第8167号事件について平成3年3月29日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告らは、昭和56年2月19日、特許庁に対し、名称を「歯周疾患予防治療剤」とする発明(以下「本願発明」という。)についての特許出願(以下「本願」という。)をしたところ、平成1年2月16日、拒絶査定を受けたので、同年5月11日、特許庁に対して、この拒絶査定に対する審判を請求した。

特許庁は同請求を、平成1年審判第8167号事件として審理したが、平成3年3月29日、「本件審判の請求は成り立たない」との審決をした。その謄本は、同年6月26日、原告らに送達された。

2  本願発明の要旨

特許請求の範囲第1項に記載されたとおりの、「ビタミンEニコチン酸エステルを有効成分として含有する歯周疾患予防治療剤」で、局所投与用のものである(甲第2号証参照)。

3  審決の理由の要点

審決の理由は、別紙平成1年審判第8167号審決書写し理由記載のとおりであるが、その要点は、次のとおりである。

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  本願発明と本願出願前に日本国内において頒布された「歯周炎治療におけるビタミンEの効果に関する臨床病理学的研究」と題する論文(江口芳雄他4名 日大歯学38巻、昭和39年発行、甲第3号証、以下「第1引用例」という。)に記載された発明とは、局所に投与される歯周疾患治療剤である点で一致し、薬効成分が、前者がビタミンE(以下「VE」という。)ニコチン酸エステルであるのに対し、後者がVEである点で相違するが、第1引用例には、歯肉炎の治療において、VEの局所投与による末梢循環(微小循環と同義である。)の促進作用はその改善に寄与するものの一つであること及びVEは全身投与とともに局所投与で末梢循環促進作用を示すことが開示されている。

(3)  本願出願前に日本国内において頒布された、「Cooling rewarming testからみたα-Tocopheryl nicotinateとα-Tocopheryl acetateの微小循環機能におよぼす効果」と題する論文(神村瑞夫 ビタミンVol.43、No.6 昭和46年発行、甲第4号証、以下「第2引用例」という。)には、VEニコチン酸エステルは経口投与による微小循環機能改善作用があること、VE酢酸エステルとVEニコチン酸エステルとは同じような臨床効果があるものとして知られていることが開示されている。

(4)  本願出願前に日本国内において頒布された特公昭46-10437号公報(甲第5号証、以下「第3引用例」という。)には、VE酢酸エステルが局所投与で歯ぐきの色を改善する作用を示すことが開示されている。

(5)  上記第1ないし第3引用例によれば、VEニコチン酸エステルの微小循環機能改善作用は、局所投与しても期待しうるものであると考えるのが自然であり、微小循環機能改善作用をもち、その局所投与による効果が期待されるVEニコチン酸エステルを第1引用例においてその末梢循環促進作用が歯肉炎の治療に有用であると示唆されるVEに代えてみることは当業者が容易になし得たものである。

(6)  本願発明の奏する効果も、第1ないし第3引用例に記載されたものから予測できる程度のものであって、格別のものとはいえない。

(7)  したがって、本願発明は、第1ないし第3引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることはできないものである。

4  審決の理由の認否

本願発明の要旨が特許請求の範囲第1項に記載されたとおりのVEニコチン酸エステルを有効成分として含有する歯周疾患予防治療剤で局所投与用のものであること(前項(1)の部分)、審決摘示の各引用例の記載内容(前項(2)後段、(3)、(4)の部分)、第1引用例に記載された発明との一致点及び相違点(前項(2)前段の部分)は認める。相違点についての判断(前項(5)、(6)の部分)は争う。

5  審決の取消事由

審決は、本願発明の薬効成分がVEニコチン酸エステルであるのに対し、第1引用例のそれがVEであるとの相違点の判断において、第1ないし第3引用例の記載からすると、VEニコチン酸エステルの微小循環機能改善作用は局所投与としても期待しうるものであると考えるのが自然であるとして、第1引用例のVEに代えてVEニコチン酸エステルを採用することは当業者に容易と認められる旨誤って判断し(取消事由1)、本願発明の奏する効果は第1ないし第3引用例に記載されたものに対して格別なものとはいえない旨誤って判断し(取消事由2)、もって、本願発明の進歩性についての判断を誤った違法がある。

(1)  取消事由1について

〈1〉 医薬の分野においては、有効成分が既知物質の場合であっても、新規な薬効が開発されたならば、新医薬品に該当し、原則として進歩性を有するものとして、特許されるべきものであるところ、本願発明は、VEニコチン酸エステルの新規な薬効すなわち歯周疾患の予防治療剤を開発したものであるから、第1引用例との相違点である薬効成分の相違をもって、ただちに進歩性を認めるべきであるにもかかわらず、審決が本願発明の進歩性を認めなかったのは、誤りである。

〈2〉 本願発明は歯肉に対し直接局所投与されるものであって、局所投与によって微小循環機能改善作用があることは、経口投与によって微小循環機能改善作用がある旨の第2引用例の記載からは予測できないものである。したがって、審決の微小循環機能改善作用をもち、その局所投与による効果が期待されるVEニコチン酸エステルを第1引用例の発明のVEに代えてみることを想到することは当業者が容易になし得たものであるとの判断は誤りである。

(a) 審決は、VE酢酸エステルとVEニコチン酸エステルとは、その薬理作用及び薬効において相違し、後者の薬理効果は前者のそれに比べて格段優れているにもかかわらず、いずれもエステルであるという化学的類似性を根拠として、同じような臨床効果があるものとしたため、「VEニコチン酸エステルの微小循環機能改善作用は、局所投与しても期待しうるものであると考えるのが自然である。」(審決書7頁末行ないし8頁2行)と誤って認定判断した。

VEニコチン酸エステルは、VE酢酸エステルと比べて、エステル化の目的、薬理において異なる。そして、VEニコチン酸エステルは、特に局所投与された場合において、歯肉における発赤、腫脹、出血及び排膿の四症状の改善の効果が格別に優れ、VEニコチン酸エステルが特異的に有効である。VEニコチン酸エステルの治療効果は、VE酢酸エステルのそれの3ないし10倍を有する(甲第6号証の表1ないし5のVEニコチン酸エステル、VE酢酸エステル及びニコチン酸の各濃度による投与例の血流量について、投与後30分間のグラフ面積を積算したものによる。)

VEは単体では化学的に酸化されやすく不安定であるため、酢酸によりエステル化して、酢酸エステルとする。これは体内に投与されると水の作用により分解されVEと酢酸となり、VEの薬効が得られるが酢酸の薬効を示さない。すなわち、VE酢酸エステルは薬理作用の面からみればVEそのものに外ならない。

一方、VEニコチン酸エステルは、エステル化により、VE酢酸エステルと同様VEの酸化に対し安定性を示す。しかし、VEニコチン酸エステルの、VEとニコチン酸をエステル結合することにより、医薬品としての主な薬理作用は、微小循環機能の改善であり、VE及びニコチン酸をそれぞれ単独で投与した場合にはみられない相乗効果を有するものであることが知られており、臨床上でも微小循環機能障害性皮膚疾患、動脈硬化性疾患、循環不全等に応用され、著名な効果が認められている(甲第2号証3欄6行ないし12行)。また、ニコチン酸に認められる発赤や効果の持続時間の短い欠点も改善されるものである(審決摘示の第2引用例の記載参照)。

よって、VEニコチン酸エステルは、薬理作用の面からみればVEそのものに外ならないVE酢酸エステルに比べ、速効性と効果の点で格別に優れている(審決摘示の第2引用例の記載)。

したがって、VE酢酸エステルは、VEニコチン酸エステルと同じような臨床効果があるものではない。

ところで、VEニコチン酸エステルが上記のとおりVE及びニコチン酸をそれぞれ単独で投与した場合にみられない特異な効果を奏することは知られていたが、本願出願まで、歯肉への局所投与による顕著な治療効果は知られていなかった。

これに対して、VE酢酸エステルを歯磨きに使用することは遅くとも昭和42年には開発されていた(第3引用例)。その理由は上記のとおりVE酢酸エステルとしてのエステル体の意味はVEを安定化するためであって、その薬効はVEと実質的に同一であるから、VEの歯肉への局所投与例(第1引用例)から程なく開発された。しかしながら、VEニコチン酸エステルの歯肉への局所投与方法は本願発明に至るまで、開発されなかった。VEニコチン酸エステルが長期にわたり、採用されなかったのは、VE酢酸エステルと異なり、VEニコチン酸エステルの局所投与製剤への応用が技術的に多くの障害があったからである(甲第11号証)。

しかるに、審決は、VEニコチン酸エステルをVE酢酸エステルと同様にVEを安定させるエステル化(物)を誤認し、有効成分としての薬効をVE酢酸エステルと同列に判断した。

(b) 審決は、VEニコチン酸エステルの局所投与による微小循環機能改善作用は、経口投与によって同作用がある旨の第2引用例の記載からは予測できないにもかかわらず、VE酢酸エステルとVEニコチン酸エステルが同じような臨床効果があるとの誤った前提のもとに、これが予測できるものとし、「してみれば、微小循環機能改善作用をもち、その局所投与による効果が期待されるVEニコチン酸エスデルを引用例1(原文のまま)においてその末梢循環促進作用が歯肉炎の治療に有用であると示唆されるVEに代えてみることを想到することは当業者が容易になしえたものと認められる。」(審決書8頁3行ないし8行)との誤った認定判断をした。すなわち、

薬剤は、その投与方法によって、その治療効果は異なるものである。例えば、経口投与の場合、胃あるいは腸などの消化器官によって効率良く薬効成分は吸収される。しかしながら、歯肉への塗布(経皮投与)により歯肉に浸透させる場合の薬効成分の吸収は悪く治療効果は全く異なるものであるから、経口投与の治療効果をもって、局所投与(経皮投与)による効果を予測することはできず(甲第9号証)、実際に投与方法及び薬効成分の組合せ毎に治験しなければ、治療効果は予測できない。

すなわち、VE酢酸エステルは、薬理作用の面からみれば、前記のとおり、VEそのものに外ならず、VEニコチン酸エステルとエステル化反応物であるからといって、即同効とすることはできない。したがって、第3引用例におけるVE酢酸エステルは局所投与で歯ぐきの色を改善するとの記載は、第1引用例におけるVEは局所投与で歯ぐきの色を改善するとの記載と同一であり、上記記載から、VEニコチン酸エステルが局所投与で歯ぐきの色を改善する作用を予測することはできない。さらに、上記歯ぐきの色を改善するとの記載から、本願発明の歯周疾患において、改善困難とされてきた歯肉における発赤、腫脹、出血及び排膿の四症状及びこれらの合併症としての歯周疾患に対する治療効果を予測することはできない。

(2)  取消事由2について

VEニコチン酸エステルの治療効果は、前記のとおり、VE酢酸エステルと対比して格段に優れているところ(甲第6号証参照)、本願出願前、VEニコチン酸エステルが歯周疾患に対し局所投与により顕著な予防治療効果を示すことは全く知られていなかった。特に、歯周疾患において、改善困難とされてきた歯肉における発赤、腫脹、出血及び排膿の四症状に対してVEニコチン酸エステルが特異的に有効であるという事実は、当該薬剤に関する薬理的ならびに臨床的な従来の知見からは容易に予測できない格別のものである。そして、本願発明が産業上の利用を有する発明とされるためには、単に治療効果のみならず、安全性も確認されなければならないところ、本願発明の一使用例である新医薬部外品について、安全性確認のうえ、製造承認を得ているものである。したがって、本願発明は、治療効果の他、安全性も有しているのであるから、かかる安全性においても、顕著な効果を奏するものである。しかるに、VE酢酸エステル及びVEサクシネートを含有する歯磨きの記載された第3引用例には、発赤、腫脹、出血及び排膿の四症状及びその合併症としての歯周疾患に対する治療効果ならびに副作用及び安全性についての示唆はない。

したがって、本願発明の奏する効果も、第1ないし第3引用例に記載されたものから予測できる程度のものであるとの審決の判断もまた誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び主張

1  請求の原因1ないし3は認め、同4の主張は争う。審決の認定判断は正当であり、原告ら主張の違法はない。

2  VEニコチン酸エステルとVE酢酸エステルとの臨床効果の差異について

(1)  歯周疾患において、改善困難とされてきた歯肉における発赤、腫脹、出血及び排膿の四症状に対してVEニコチン酸エステルが特異的に有効であると原告らが主張するが、第1引用例には、VEを局所投与した場合のうち、歯肉マッサージによるときは、腫脹減退、色調正常化、出血消退が認められることが開示されている。そうすると、原告ら主張の上記VEニコチン酸エステルの薬理作用は、VE自体もまた有しているといえ、同作用の点では、VEニコチン酸エステルもVEも質的な差異はない。

(2)  VEニコチン酸エステルの歯周疾患に対する作用は末梢循環の改善によるものと考えられるところ、第2引用例には、VEと同様に末梢循環を改善する作用を持つVE酢酸エステルに比してVEニコチン酸エステルが末梢循環を改善するにおいて優れていることが開示されているから、VEニコチン酸エステルが歯周疾患に対する作用において、VE酢酸エステルを凌駕する程度に強力であり、量的に優れていると予測することは自然なことである。

(3)  甲第6号証で報告されている試験例はVE酢酸エステル、VEニコチン酸エステルの双方について各9例という少数であり、信頼性に欠けるうえ、その内容は、単に、VEニコチン酸エステルがVE酢酸エステルよりも歯肉への直接塗布による歯肉血流の促進効果が大であるというにすぎない。また、原告らの主張する3ないし10倍の治療効果の記載はない。

第4  証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立については、いずれも争いがない。)。

理由

1(1)  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いはない。

(2)  審決の理由中、審決摘示の各引用例の記載内容及び第1引用例と本願発明との一致点及び相違点は、当事者間に争いがない。

2  原告ら主張の審決の取消事由について検討する。

(1)  取消事由1について

〈1〉  原告らは、まず、本願発明は、VEニコチン酸エステルの新規な薬効すなわち歯周疾患の予防治療剤を開発したものであるから、第1引用例との相違点である薬効成分の相違をもって、ただちに進歩性を認めるべきであると主張する。

仮に、VEニコチン酸エステルを有効成分とする歯周疾患予防治療剤が、本願発明により初めて提供されたものであるとしても、本願発明の歯周疾患予防治療剤としての効果が当業者において引用例から容易に予測できるものであるならば、その進歩性は否定されるべきであり、その予測の容易性について検討することなく、第1引用例との相違点である薬効成分の相違をもって、ただちに進歩性を認めるべきとの原告らの主張は採用できない。

〈2〉  次に、第1ないし第3引用例の各記載から、第1引用例のVEに代えてVEニコチン酸エステルを採用することを想到することが当業者において容易になし得たことであるか否かについて検討する。

(a) 前記審決摘示の第1引用例の記載内容及び甲第3号証によれば、第1引用例には、VEは、血管に対し、末梢の抵抗性を増大させ、血管壁の透過性を低下せしめ、血液の末梢循環(ここでいう末梢循環は、微小循環と同義語であると認められる。)を促進する作用を示すこと(45頁本文左欄下から4行ないし末行)及び歯周炎の治療にVEを局所的、全身的に使用した効果は、程度の差こそあれ、臨床的、病理組織学的に認められること(53頁結論の項)が記載されていることが認められる。

(b) 前記審決摘示の第2引用例の記載内容及び甲第4号証によれば、第2引用例には、非局所的投与の一つである経口投与においてα-Tocopheryl nicotinate(VEニコチン酸エステルと認められることは原告らも明らかに争わない。)には微小循環機能改善作用が確認されていること及びTocopheryl(VEと認められることは原告らも明らかに争わない。)の誘導体として、α-Tocopheryl acetate(VE酢酸エステルと認められることは原告らも明らかに争わない。)及び前記α-Tocopheryl nicotinateが挙げられるものであって、VEニコチン酸エステルはVE酢酸エステルとは同じような臨床効果があるものとして知られたものであること及びVEニコチン酸エステル及びVE酢酸エステルは全身投与(経口)で微小循環機能改善作用を示すが、前者が後者に比べ、即効性と効果の点で明らかに優れていることが記載されていることが認められる。

(c) 前記審決摘示の第3引用例の記載内容によれば、第3引用例には、VE酢酸エステルを含むVEエステルは局所投与で歯ぐきの色を改善する作用を示すことが記載されていることが認められる。さらに、甲第5号証によれば、第3引用例には「きれいで健康的な歯ぐきをつくり、…についてはブラッシング、摩擦等の機械的、物理的作用にてもある程度改善され得ること…。本発明はかような通常の物理的作用と共に従来口腔化粧料としては全く用いられていなかった物質で有効なものを歯ぐきに浸透せしめて、その口腔化粧効果を化学的作用により一段と強化し、持続せしめんとするものである。本発明はビタミンEエステルを含有せしめることを特徴とする新規な歯みがきである。」(1欄29行ないし2欄10行)との記載があることが認められ、これによれば、VE酢酸エステルあるいはその他のビタミンEエステルの局所投与はブラッシング、摩擦等の機械的、物理的作用と同様な歯ぐきの血行をよくする化学的作用があることが認められ、かかる血行をよくする作用は微小循環機能を改善する作用と同義であると認められる。

(d) 前記(b)及び(c)によれば、VE酢酸エステルの局所投与は微小循環機能改善作用があること、VE酢酸エステル及びVEニコチン酸エステルはともに全身投与(経口)で微小循環機能改善作用を示すとこる、両者はいずれもVE誘導体として挙げられ、同じような臨床効果があるものとして知られたものであるから、当業者であれば、VEニコチン酸エステルはVE酢酸エステルと同じく局所投与において微小循環機能改善作用を示すことを、容易に予測できるものであると認められる。そして、前記(a)によれば、VEは、局所投与、全身投与を問わず、血液の微小循環を促進する作用を示すため歯周炎の治療に用いられているところ、第1引用例記載の発明において、VEに代えて、局所投与において微小循環機能改善作用を示すことが予測できるVEニコチン酸エスチルを採択することは当業者が容易に採用し得た程度のものであると認められる。

〈3〉  もっとも、

(a) 原告らは、VEニコチン酸エステルは、VE酢酸エステルと比べて、エステル化の目的、薬理において異なり、その効果は、特に局所投与された場合において、従来改善困難とされてきた歯肉における発赤、腫脹、出血及び排膿の四症状に対し格別に優れているから、VEニコチン酸エステルを、薬理作用の面からみればVEと異ならないVE酢酸エステルと同列に判断することはできないと主張する。

しかしながら、前掲甲第3号証によれば、第1引用例には、VEは、血液循環系の作用を改善し、炎症の治療にも関係が深いとされていること、VEの血液の末梢循環の促進、血液の凝固予防、内分泌等の作用が歯肉組織疾患の予防ならびに治療と密接な関係があるとの見解に基づいて、VEを歯肉炎治療として、全身的及び局処的に種々なる方法で使用し、その効果を臨床的ならびに病理組織学的に観察した結果が記載されていること(45頁本文左欄17行ないし右欄下から6行)、同引用例の第3表には、臨床成績が示され、VEにおいて、局所投与、全身投与を問わず、歯肉うつ血の消退、歯肉腫脹減退、歯肉緊張、色調正常化、排膿減少、出血消退の効果が認められること、全身適用として、経口投与、筋肉内注射が行なわれ、局所適用として、歯肉マッサージ、盲嚢内貼付、歯肉内注射が行なわれ、それぞれの場合による成績には、若干の差があること、歯肉マッサージ例は、臨床的所見では、歯肉うっ血の消退、歯肉腫脹減退、歯肉緊張、色調正常化、出血消退のいずれにおいても、効果を示し、排膿減少においても治療の後半において効果を示し、顕微鏡所見では、盲嚢内貼付、歯肉内注射より劣るがVEを使用しない対照例に比して良好であったことが示されている(46頁本文右欄8行ないし52頁左欄13行)こと、VEには他の器官を介することなしに働く局所作用があるごとが明らかにされたこと(51頁右欄17行ないし19行)、歯肉炎に対するVEの作用機序について、そのひとつとして、血液の循環促進による歯周炎のうつ血解消が挙げられている(53頁右欄7行ないし13行)ことが認められる。以上によれば、原告ら主張のVEニコチン酸エステルの歯肉における発赤、腫脹、出血及び排膿の四症状の改善の効果は、第1引用例で示されたVEの血液の末梢循環の促進等の作用による歯肉うっ血の消退、歯肉腫脹減退、出血消退、排膿減少の効果に他ならず、微小循環機能改善作用はVEにも有ることは明らかであって、VEニコチン酸エステルに特異なものではない。ところで、VEにかかる効果があるのであれば、原告らが薬理作用の面からみればVEそのものに外ならないと主張するVE酢酸エステルに同じ治療効果を予測することは、もとより、当業者にとって容易なことであるところ、前記〈2〉(b)のとおり、第2引用例には、VEニコチン酸エステルとVE酢酸エステルとはいずれもTocopheryl (VE)の誘導体として、同じような臨床効果があるものとして知られたものであり、両者は、全身投与(経口)でVEと同様に微小(末梢)循環機能改善作用を示すが、前者が後者に比べ、即効性と効果の点で明らかに優れていることがすでに開示されているのであるから、原告ら主張のVEニコチン酸エステルの奏する効果がVE及びVE酢酸エステルの奏する効果から予測できない程度の格別のものとは認められない。

次に、VEニコチン酸エステルがVE酢酸エステルとは質的に別異のものであるとの原告らの主張の根拠とする甲第6号証について検討する。

同号証は、歯周疾患改善・予防効果の比較の一環として、歯肉への直接塗布によるウサギ歯肉血流量の促進効果をVEニコチン酸エステルとVE酢酸エステルについて比較した試験報告書であると認められるところ、そのまとめにおいて、VEニコチン酸エステル、VE酢酸エステルともに歯肉表面の末梢血流量を増大させ、明らかな血流促進効果が認められ、VE酢酸エステル及びVEニコチン酸エステルの歯肉血流促進効果を比較すると、血流ピーク値でややVEニコチン酸エステルの方が大きく、その差は1%濃度でさらに顕著であり、血流促進の持続時間ではほぼ同程度であったものの、VEニコチン酸エステルの1%、10%に各1例、1時間以上の持続を示す例が認められたが、VE酢酸エステルでは認められなかったことが認められる。以上によれば、同報告書は、局所投与の場合においても、VEニコチン酸エステルとVE酢酸エステルとは歯肉表面の末梢血管量を増大させ、血流を促進するという共通の効果を有するが、VEニコチン酸エステルがその効果において優れているということを示すものであるにすぎない。さらに、原告らは同報告書の表1ないし5のVEニコチン酸エステル、VE酢酸エステル及びニコチン酸の各濃度による投与例の血流量について、投与後30分間のグラフ面積を積算したものを根拠として3ないし10倍の効果を主張するが、同報告書では血流促進効果の定量的な比較はできないとし同一動物での比較に止めている(5頁20行ないし21行)のであって、試験例も限定されている同報告書を原告ら主張のような方法で積算することはその信用性に乏しいものといわざるを得ない。

なお、原告らは、VE酢酸エステルと異なり、VEニコチン酸エステルの局所投与製剤への応用が技術的に多くの障害があったため、VEニコチン酸エステルの歯肉への局所投与方法は本願発明にいたるまで開発されず、本願発明で初めて開発されたものであると主張するが、VEニコチン酸エステルの局所投与用製剤への応用が技術的に困難であることは、VEニコチン酸エステルを含有する局所投与用製剤の製造技術に係ることであって、VEニコチン酸エステルを局所投与用製剤に採択することの容易性とは直接関係するものではないから、原告らの上記主張は理由がない。

(b) 原告らは、経口投与の場合と歯肉への塗布(経皮投与)の場合とでは治療効果は全く異なるものであるから、経口投与の治療効果をもって、局所投与(経皮投与)による効果を予測することはできず、実際に投与方法及び薬効成分の組合せ毎に治験しなければ、治療効果は予測できないと主張する。

しかしながら、原告ら主張のVEニコチン酸エステルの局所投与と全身投与との治療効果の差は、薬効成分の吸収の速度あるいは程度の差による薬剤の即効性あるいは効率の差にすぎず、経口投与した場合の治療効果と質的に異なるものではなく、微小循環機能改善作用という点では同じものであり、実際に投与方法及び薬効成分の組合せ毎に治験しなければ、治療効果を予測できないものではない。そして、前記〈2〉(a)のとおり、VEには他の器官を介することなしに働く局所作用があることは第1引用例で明らかであり、同(b)のとおり、第2引用例において、VEニコチン酸エステルが経口投与で微小循環機能改善作用を有するものであること及びVEニコチン酸エステルはVE酢酸エステルと同じような臨床効果があるものとして知られたものであることが開示され、同(c)のとおり、第3引用例において、VE酢酸エステルあるいはその他のビタミンEエステルを含有するものの局所投与が微小循環機能改善作用を有するものであることが開示されているのであるから、VEニコチン酸エステルを局所投与することによって微小循環機能改善作用を奏することを予測することは当業者であれば容易というべきである。

〈4〉  以上のとおり、原告らの取消事由1に関する主張は採用できない。

(2)  取消事由2について

〈1〉  前記(1)〈2〉で判示したところによれば、本願発明の奏する効果は、第1ないし第3引用例に記載されたものから予測できるものであることは明らかである。

〈2〉  もっとも、原告らは、本願発明の一使用例である新医薬部外品について、安全性確認のうえ、製造承認を得ているものであり、本願発明は、治療効果の他、安全性も有しているのであるから、かかる安全性において、顕著な効果を奏するものであると主張する。

しかしながら、前掲甲第3号証によれば、第1引用例には、「現在VEの欠乏に関連して知られていることは、脳下垂体、副腎皮質系に障害をきたし、二次的に全身各部に影響を及ぼすため、大脳生理と密接な関係があるということである。…。なお栄養問題におけるVEの役割としては、その吸収障害による影響が少し分かってきた。…。大人1人あたりのVEの必要量は、1日20~30mgという線が考えられているが、その吸収に異常があると血清VEの濃度が低下し、赤血球溶血現象が現れることなどが認められてきた。」(45頁本文左欄14行ないし25行)、「VEは局所的にも全身的にも、その広汎な生物学的作用によって、歯肉炎の治療にさいし、他のビタミン類と共にその効果を発揮するものと思考せられる。」(53頁右欄22行ないし25行)との記載があることが認められるが、同引用例に記載された実験において、VEの投与による副作用が生じた旨の記載は認められない。かかる記載によれば、VEは他のビタミン類と同様に人体にとって必須の栄養素であり、その広汎な生物学的作用によって、歯肉炎の治療にその効果を発揮するものとされているものであるから、特にその安全性について問題視されたことはないと認められる。そうすると、本願発明が原告ら主張のとおり安全性を有するものとしても、第1引用例に記載されたVEと比較して、安全性の観点からは、格別の効果を奏するとは認められない。

次に、前掲甲第4号証によれば、第2引用例において、VEニコチン酸エステルとVE酢酸エステルを被検者に交互に経口投与し、両者の微小循環機能に及ぼす影響を比較している(312頁本文左欄下から5行ないし末行)ことが認められるが、両者の副作用についての比較の記載はない。人体に薬剤を経口投与する場合、人体に対する副作用がないことが第1に優先することは明らかであるから、かかる事項についての記載がないことはみるべき副作用がないと解すべきである。そうすると、経口投与において、VE酢酸エステルとVEニコチン酸エステルは、その安全性において、特に差があるとは認められない。そして、前記(1)〈2〉(b)のとおり、VEニコチン酸エステルはVE酢酸エステルと同じような臨床効果があるものとして知られたものであるところ、局所投与において、VE酢酸エステルがVEニコチン酸エステルに比較して特に安全性に問題があると認められる証拠はない。しかるところ、前記甲第5号証(第3引用例)に、VE酢酸エステルあるいはその他のビタミンEエステルを含有する歯みがきにおいて、安全性についての記載がないが、安全性に特に問題があるとの記載もまた認められないから、本願発明が、第3引用例に記載された発明と比較して、安全性の観点からは、格別の効果を奏するとは認められない。

〈3〉  以上のとおり、原告らの取消事由2についての主張は採用できない。

3  以上のとおり、原告ら主張の取消事由は理由がなく、審決に誤りはない。

よって、原告らの本訴請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 押切瞳)

平成1年審判第8167号

審決

東京都文京区小石川4丁目6番10号

請求人 エーザイ株式会社

大阪府高槻市朝日町3番1号

請求人 サンスター株式会社

東京都港区南青山一丁目1番1号 新青山ビル西館14階 秋元特許事務所

代理人弁理士 秋元輝雄

昭和56年特許願第23564号「歯周疾患予防治療剤」拒絶査定に対する審判事件(昭和62年11月24日出願公告、特公昭62-56131)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

本願は、昭和56年2月19日の出願であつて、その発明の要旨は、出願公告された明細書及び図面の記載からみて特許請求の範囲の必須要件項に記載されたとおりの下記のものと認める。

「ビタミンEニコチン酸エステルを有効成分として含有する歯周疾患予防治療剤。」

ここで、上記治療剤は、明細書の“本発明の予防治療剤は歯肉に対し直接に局所投与されるものであり”(明細書第4頁下から3行-下から2行参照。)、との記載からみて、局所投与用のものであると認められる。

これに対して、原査定の拒絶の理由である特許異議の決定の理由で引用された日大歯学第38巻、昭和39年発行、第45-54頁(以下第1引用例という。)には、「歯周炎治療におけるビタミンEの効果に関する臨床病理学的研究」と題する論文が掲載されており、その緒言には、ビタミンE(以下VEという。)は血液循環系の作用を改善し炎症の治療にも関係が深いとされている旨(第45頁左欄下から13行-下から12行。)、VEの口腔疾患との関係について直接的なものとしては血管に対する作用で末梢の抵抗性を増大させ、血管壁の透過性を低下せしめ、血液の末梢循環を促進する旨(第45頁左欄下から4行-下から2行。)、及びVEを歯肉炎治療として、全身的および局所的に種々なる方法で使用し、その効果を臨床的ならびに病理組織的に観察した旨(第45頁下から8行-下から6行参照。)の記載がある。又、第1章研究材科ならびに研究方法の項には上記観察のための実鹸ゐ手法について、第2章研究成績の項にはその結果について、第3章総括ならびに考察の項には、歯肉炎に対するVEの作用機序について、VEは局所的には歯肉組織における末梢血管壁の強靱性を維持し、かつ抵抗性を高めて血管系の退行変化を軽減すること、又、血液の循環を促進して、血液中の酸素の利用を高めるので、歯周炎のうつ血を解消し、良性肉芽の形成を促進する旨の記載(第53頁右欄第6行-12行)、及び結論の項には、VEの治療的効果は各実験別に程度の差こそあれ、臨床的ならびに病理的に認められた旨の記載がある。

又、同ビタミンVol.43、No.6、昭和46年発行、第312-317頁(以下第2引用例という。)には、「Cooling rewarming testからみたα-Tocopheryl nicotinateとα-Tocopheryl acetateの微小循環機能におよぼす効果」と題する論文が掲載されており、その総括ならびに考察の項には、tocopherolには多くの誘導体があるが臨床的にはα-tocopherolが用いられ、同時にα-tocopherolの諸種エステルが登場しているがToc-ace(第1ページ脚注によればα-tocopheryl acetate)が多用され、Toc-nic(同α-tocopheryl nicotinate)もニコチン酸に認められるflashや効果の持続時間の小さい欠点もなくToc-aceと同様な臨床効果があることから臨床的に多用された旨(第316頁左欄下から21行-下から12行参照。)、及び、著者は、tocopherolの主たる薬理作用の一つであり、かつ基本的な作用である微小循環系におよぼすtoc-aceとtoc-nicの影響を対比する状態で検索しようと試みた旨(同下から6行-下から3行参照。)の記載があり、又、実験方法の項にはtoc-aceとtoc-nicを微小循環機能障害が関与する皮膚疾患患者に経口投与する実験についての記載(第312頁-314頁参照。)及び実験成績の項には前記実験の結果についての記載(第314頁-316頁参照。)及び結語の項には、Toc-nicとToc-aceの微小循環機能におよぼす影響を検索し、Toc-nicがToc-aceに比べ、速効性と効果の点で明らかに優つていることを確めた旨の記載がある。

さらに同特公昭46-10437号公報(昭和46年3月16日出願公告。以下第3引用例という。)には、ビタミンEエステルを含有する歯みがきが記載されている(第2ページ特許請求の範囲参照。)。ここで使用するVEエステルとしては、VEアセテート、VEサクシネートが例示され(第2欄第10-12行参照。)、実施例においてもこの2つのエステルが配合されている。そして、VEエステルの添加により歯ぐきを美麗かつ健康的な色彩に変化させることを可能ならしめる旨、(第2欄第17-19行参照。)及びそれを示すデータが記載されている。

次に本願発明と第1引用例に記載されたものを比較すると、第1引用例には、VEを局所投与して歯周炎に効果があることが示され、歯周炎は歯周疾患の1つであるから、両者は、局所に投与される歯周疾患の1つであるから、両者は、局所に投与される歯周疾患治療剤である点で一致し、薬効成分が前者はVEニコチン酸エステルであるのに対し、後者はVEである点で相違している。

そこで上記相違点について検討する。

第1引用例の緒言及び第3章総括ならびに考察における前述の記載からすると、第1引用例には、歯肉炎の治療において、VEの局所投与による末梢循環の促進作用はその改善に寄与するものの1つであることが示唆されているといえる(ここでいう末梢循環は、微小循環と同義語であると認める。)。

ところで、第2引用例には、α-トコフェロールニコチネート(VEニコチン酸エステルと認められる。)には微小循環機能改善作用があることが示されている。

上記作用は、非局所的投与の1つである経口投与において碓認されているが、上記引用例には、α-トコフエロール、α-トコフエロールアテセート(VE酢酸エステルと認められる。)がともにトコフエロール誘導体として挙げられるものであつて、α-トコフエロールニコチン酸エステルは、α-トコフエロール酢酸エステルと同じような臨床効果があるものとして知られたものであることが記載されており、さらに、VEは全身投与と共に局所投与で末梢循環促進作用を示すこと(前述の第1引用例第45頁下から8行-下から6行、第3章総括ならびに考察の項、及び、結論の項参照。)、VE酢酸エステルは全身投与(経口)で微小循環機能改善作用を示し(第2引用例)、局所投与(第3引用例)で歯ぐきの色を改善する作用を示すことからすると、VEニコチン酸エステルの微小循環機能改善作用は、局所投与しても期待しうるものであると考えるのが自然である。

してみれば、微小循環機能改善作用をもち、その局所投与による効果が期待されるVEニコチン酸エステルを引用例1においてその末梢循環促進作用が歯肉炎の治療に有用であると示唆されるVEに代えてみることを想到することは当業者が容易になしえたものと認められる。

そして、本願発明の奏する効果も、第1~3引用例に記載されたものから予測することができる程度のものであつて、格別のものとはいえない。

したがつて、本願発明は、第1-第3引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

よつて、結論のとおり審決する。

平成3年3月29日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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